日々旅中

 ya6.gif  世界一周へ向けてホームページを作成しました。
 2011年7月出発予定
 西へ進みながら更新をしていく予定です。


 まだまだ完成とは言えないHPです。
 だって完成するのは旅が終わってからなんだもの!!
 出発まではこのブログをご覧ください!



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旅行博

Category : midnight express
9/20 お台場で沢木耕太郎氏のトークショーがあります★

今からとっても楽しみだ
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休日

Category : midnight express
こないだ買った深夜特急のDVDが届いたので

せっかく天気もいいのにずっとDVDを見てました。

本のイメージとは全然違ったけど

別にがっかりしなかった。

むしろおもしろいと思った

本の中の沢木氏が感じたことは

旅する人は共通して感じることだと思ったから

なんら違和感がなかった。

「老いて旅するは懸命じゃない」

私もそうは思うけど

なんだかそれもとても切ない‥

とにかく早く旅に出たい

そう思わせる話だった

終わりの予感

Category : midnight express


「いくつもの偶然が私をここに連れてきた。

その偶然を神などと置き換える必要はない。

それは、風であり、水であり、光であり、そうバスなのだ。

私は乗合いバスに揺られてここまで来た。

乗合いバスがここまで連れてきてくれたのだった・・・。」



自分の意志で選んで進んできた。

流されるように来たように見えるけれど

間違いなく自分の足で来た。

その満足感は

きっと計り知れない。


「旅がもし本当に人生に似ているものなら、

旅には旅の生涯というものがあるのかもしれない。

人の一生に幼年期があり、少年期があり、

青年期があり、壮年期があり、老年期があるように、

長い旅にもそれに似た移り変わりがあるのかもしれない。

私の旅はたぶん青年期を終えつつあるのだ。

何を経験しても新鮮で、

どんな些細なことでも心を震わせていた時期は

すでに終わっていたのだ。 (中略)

私の旅がいま壮年期に入っているのか、

すでに老年期に入っているのかはわからない。

しかし、いずれにしても、やがてこの旅にも終わりがくる。

その終わりがどのようなものになるのか。

果たして、ロンドンで《ワレ到着セリ》と電報を打てば

終わるものなのだろうか。

あるいは、期日もルートも決まっていないこのような旅においては、

どのように旅を終わらせるか、

その汐どきを自分で見つけなくてはならないのだろうか……。
 
この時、私は初めて、

旅の終わりをどのようにするかを考えるようになったといえるのかもしれなかった。」



「お金がなくなったから帰る。」じゃなくて

私も自分の意志で帰るタイミングをみつけたい。

ただ満足して帰りたいなんて思ったりするのかは疑問。


「飛光よ飛光よ汝に一杯の酒をすすめん。」

深夜特急の名言!!

いつかは口に出してみたい。



「旅先では、いつも負けまい、甘くみられまい、と肩ひじ張っていた。

値切ることに妙な自己満足を覚えていたけど、

それでよかったんだろうかといまは思う。

騙されることは、そんなにいけないことだろうかって。

騙されてスッテンテンになったら、

今度はこちらが騙せばいい。

生きるか死ぬかの一歩手前まで、

騙されていいんですよね。

騙されまいとして頑張るなんて、

もしかしたらつまらないことなのかもしれないと思う。」



ある程度のゆとりを持って旅をしたい。

そしてなるべくなら

どんなことでも楽しみたい。

痛くない程度のだましなら

乗っかってやったっていいと思う。

旅の最中

Category : midnight express
「日本にいるときの私は、

浪費家というのではなかったが、

決して吝嗇家ではなかった。

ポケットにあるだけの金はいつも気持よく使い切っていた。

ところが、この旅に出てからというもの、

倹約が第二の習性になってしまったかのように、

あらゆることにつましくなってしまった。

しかも、その傾向は日が経つにつれてますますひどくなっていく。

金がなくなり、これ以上旅を続けられないということになったら、

そこで切り上げればいい。

そう思ってはいるのだが、旅を終えなければならなくなることへの恐怖が、

金を使うことに関して私を必要以上に臆病にさせていた。」



お金の価値をその国に合わせられるようになってしまうと

(それも旅の技術の一つではあるけれど)

日本に帰ってきたときのショックはかなりでかい。。。

それから旅に必要なものは

やっぱりお金なのだ。

働きもせず、ただ進むだけの旅は

確実にお金だけが失われてく。

お金がなくなったら帰らなくちゃいけない。

満足してなくても生きてくためにはそうするしかない。

それはきっととても怖いことなんじゃないかなぁ・・・


「あるいは、彼らも人生における執行猶予の時間が欲しくて

旅に出たのかもしれない。

だが、旅に出たからといって

何かが見つかると決まったものでもない。

まして、帰ってからのことなど予測できるはずもない。

わからない、それ以外に答えられるはずがなかったのだ。

そして、その状況は私にしても大して変わらないものだった。

わからない。

すべてがわからない。

しかし人には、わからないからこそ出ていくという場合もあるはずなのだ。

少なくとも、私が日本を出てきたことのなかには、

何かが決まり、決められてしまうことへの恐怖ばかりでなく、

不分明な自分の未来に躙り寄っていこうという勇気も、

ほんの僅かながらあったのではないかという気がするのだ……。」



これは私の永遠の課題な気がする。

私には将来の夢だとかそんなものはもうなくて

ほんとに世界放浪のためだけに

働いているようなもの。

それはきっと実現するだろうけど

そのあとのことなんて一切考えてない。

もちろん、不安はある。

だけどそれ以上にこのままでは満足できない気持ちのほうが

圧倒的に強い。

世界を歩くことの楽しさを知ってしまったら

毎日の生活に満足でなんかいられない。



「僕が西へ向かう途中に出会った若者たちにとって、

シルクロードはただ西から東へ、

あるいは東から西へ行くための単なる道にすぎませんでした。

時には、彼らが、いつ崩れるか分からない危うさの中に身を置きながら、

求道のための巡礼を続けている

修行僧のように見えることもありました。

彼らは、もしかしたら僕をも含めた彼らは、

頽廃の中にストイシズムを秘めた、

シルクロードの不思議な往来者だったのかも知れません。

しかし、彼らこそ、シルクロードを文字通りの「道」として、

最も生き生きと歩んでいる者ではないかと思うのです。
 
滅びるものは滅びるにまかせておけばいい。

現代にシルクロードを甦らせ、息づかせるのは、

学者や作家などの成熟した大人ではなく、

ただ道を道として歩く、

歴史にも風土にも知識のない彼らなのかもしれません。

彼らがその道の途中で見たいものがあるとすれば、

仏塔でもモスクでもなく、

恐らくそれは自分自身であるはずです。
 
それが見えないままに、

道の往来の途中でついに崩れ落ちる者も出てきます。

クスリの使いすぎで血を吐いて死んでいったカトマンズの若者と、

そうした彼らとのあいだに差異などありはしないのです。

死ななくて済んだとすれば、

それはたまたま死と縁が薄かったというにすぎません。
 
しかし、とまた一方で思います。

やはり差異はあるのだ、と。

結局、徹底的に自己に淫することができなかったからだ、と。

少なくとも僕が西へ向かう旅のあいだ中、

異様なくらい人を求めたのは、

それに執着することで、破綻しそうな自分に歯止めをかけ、

バランスをとろうとしていたからなのでしょう。

そしていま、ついにその一歩を踏みはずすことのなかった僕は、

地中海の上でこうして手紙を書いているのです。」



私はシルクロード横断って言葉を

きっと過大評価しているのかもしれない。

そうゆうフシはよくあって

インドに行く前も

私はインドのハードルをかなり高く設定していたように思う。

きっとどこの国も

その国の人々が普通に生活しているんだから

ただ異国というだけで

何ら変わりないんじゃないかって思う。

それでもただ漠然と

「シルクロード」を歩いてみたい。

この文章を読んでそう思った。


「私たちのような金を持たない旅人にとって、

親切がわずらわしくなるというのは、

かなり危険な兆候だった。

なぜなら、私たちは行く先々で

人の親切を「食って」生きているといってもよいくらいだったからだ。

「食う」という意味は二重である。

ひとつは、文字通り人から親切によって与えられる食物や情報が、

旅をしていくために、だから異国で生きていくために必須だということ。

もうひとつは、人々の親切が旅の目的そのものになっているということ。

つまり私たちのようなその日ぐらしの旅人には、

いつの間にか名所旧跡などどうでもよくなっている。

体力や気力や金力がそこまで廻らなくなっていることもあるが、

重要なことは一食にありつくこと、

一晩過ごせるところを見つけること、でしかなくなってしまうのだ。

しかし、そうではあっても、いやそうだからこそ、

人が大事だと思うようになる。

旅にとって大事なのは、名所でも旧跡でもなく、

その土地で出会う人なのだ、と。

そして、まさにその人と人との関わりの最も甘美な表出の仕方が

親切という行為のはずなのだ。

ヒッピーとは、人から親切を貰って生きていく物乞いなのかもしれない。

少なくとも、人の親切そのものが旅の全目的にまでなってしまう。

それが、人から示される親切を面倒に感じてしまうとすれば、

かなりの重症といえるのかもしれなかった。」



旅の醍醐味はやっぱり人との出会いだと私も思う。

旅中は少々子供に還る自分を感じて

少しの親切もとてもうれしい。

そしていささか自分も親切になっている気がする。

私はその親切を面倒だと思ったことはなかったけれど

長い旅を続けると

いくら異国の世界の出来事でも

それが日常になるんだろうから

不感症になってしまうのもわかるかもしれない。と思う。


「ヒッピーたちが放っている饐えた臭いとは、

長く旅をしていることからくる無責任さから生じます。

彼はただ通過するだけの人です。

今日この国にいても明日にはもう隣の国に入ってしまうのです。

どの国にも、人々にも、まったく責任を負わないで

日を送ることができてしまいます。

しかし、もちろんそれは旅の恥は掻き捨てといった類いの無責任さとは違います。

その無責任さの裏側には

深い虚無の穴が空いているのです。

深い虚無、それは場合によっては自分自身の命をすら

無関心にさせてしまうほどの虚無です。」



私はヒッピーのような旅人に憧れはあるけれど

きっとそんな風に旅はできないと思う。



「歩いても歩いても何も起きない。

かつては出来事が向こうからやってきたものだが、

私はは何も起きないこの街で

透明な存在になったように

ただ歩いている。」



アジアからヨーロッパに入ると

「さみしい」なんて思うことがあると聞いたことがある。

途上国は旅行者に群がるけれど

先進国ではそれがない。

ヨーロッパに興味がありながら

なかなか足が向かない理由は

こーゆうことなのかもしれない。


「私にはひとつの怖れがあった。

旅を続けていくにしたがって、

それはしだいに大きくなっていった。

その怖れとは、言葉にすれば、

自分はいま旅という長いトンネルに入ってしまっているのではないか、

そしてそのトンネルをいつまでも抜け切ることができないのではないか、

というものだった。

数カ月のつもりの旅の予定が、

半年になり、一年にもなろうとしていた。

あるいは二年になるのか、三年になるか、

この先どれほどかかるか自分自身でもわからなくなっていた。

やがて終ったとしても、旅というトンネルの向こうにあるものと、

果してうまく折り合うことができるかどうか、

自信がなかった。

旅の日々の、ペルシャの秋の空のように透明で空虚な生活に比べれば、

その向こうにあるものがはるかに真っ当なものであることはよくわかっていた。

だが、私は、もう、それらのものと折り合うことが

不可能になっているのではないだろうか。」



旅している人たちは

共通してこんな気持ちを抱えているんじゃないかなぁ・・・


「長い道程の果てに、

オアシスのように現れてくる砂漠の中の町で、

ふと出会う僕と同じような旅を続けている若者たちは、

例外なく体中に濃い疲労を滲ませていました。

長く異郷の地にあることによって、

知らないうちに体の奥深いところに

疲労が蓄積されてしまうのです。

疲労は好奇心を摩耗させ、

外界にたいして無関心にさせてしまいます。

旅の目的すら失い、ただ町から町へ移動することだけが

唯一の目的となってしまいます。

どんなに快活で陽気なバイタリティーに溢れているように見えても、

このまま安宿のベッドに横になったら、

ふたたび立つことはできないのではないかという危うさを、

どこかに抱え込んでいるようでした。

多くは、二十歳を超えていましたが、

ポール・ニザンのいう

「一歩踏みはずせば、いっさいが若者をだめにしてしまう」状態に陥っていたのです。

 西への途上で出会う誰もが危うさを秘めていました。

とりわけそれがひとり旅である場合は

その危うさが際立っていました。

一年を越える旅を続けていればなおのことでした。

しかし、と一方では思うのです。

このような危うさをはらむことのない旅とはいったい何なのか、と。

次から次へと生み出される現代日本のシルクロード旅行記なるものも、

その大半が甘美で安らかなシルクロード讃歌であるように思われます。

肉体上の苦痛、物理的な困難については語られても、

ついに「一歩踏みはずせば」すべてが崩れてしまうという、

存在そのものの危機をはらんだ経験について

語られることは決してないのです。」



リスクがあるから旅は楽しい!!

死なない程度に危険な目にあったほうが

少し成長できる気がする。

アジア

Category : midnight express
「そうだ我々の人生も賽は投げられているのだ」

ドキッとした。

平凡に毎日暮らしているけれど

毎日毎日何かしらの岐路に立っている気がする。

どんな些細なことでも

そのとき自分が選んだことで

その先の未来はガラリと変わるのかもしれない。

あまり気負うことはないのかもしれないけれど

一日一日を大切にしようと思う言葉だった。

*趣旨とは少しズレてるかもしれないけれど。。。


「私は歩き、眺め、話し、笑い、食べ、呑んだ。

どこへ行っても、誰かがいて、何かがあった。 」



旅中なんて確かに上記のことしかしない。

それでも確かに何かがあった。

そして誰かがいて一度もさみしいなんて思わなかった。

ただ歩いていることがこんなに楽しいなんて思ったことがなかった。


「それにしても、旅人の相手をしてくれるのは

老人と子供だけだな、と

ベンチに座ったまま私は思った。

観光客を相手の商売をしている人たちを除けば

いつでも、どこでも

私たち旅人の相手をしてくれるのは

老人と子供なのだ。

しかし、それを悲しがってはならないことはよくわかっている。

なぜなら、まっとうな仕事をしている大人たちに、

昼の日中から旅人を構っている暇など

あるはずがなかった。」



たしかにその通りだなぁって思った。

例えば自分だって会社に行く途中に外国人がウロウロしてたって

自分から話しかけたりはしないと思う。

どこの国の人もそれは同じで

私が異国を旅してるときも

話しかけてくる人たちはやはり真っ当な職についてるわけではないと思う。

だからこそ旅はおもしろいのかもしれない。


「私は旅に出て以来、

ことあるごとに「金がない」と言いつづけてきたような気がする。

だが、私には少なくとも千数百ドルの現金があった。

これから先の長い旅を思えば大した金ではないが、

この国の普通の人々にとっては

大金というに値する額であるかもしれない。

私は決して「金がない」などと

大見得を切れる筋合いの者ではなかったのだ。」



値切り交渉のとき


私はどうしても「お金がない」とは言えなかった。

だっていくら使い古しのTシャツにタイパンツを履いていても

そのTシャツの下には

彼らの月給よりも高い現金を持っているから。


「便所で手が使えるようになった時、

またひとつ自分が自由になれたような気がした。

ガヤの駅前では野宿ができた。

ブッダガヤの村の食堂ではスプーンやホークを使わず

三本の指で食べられるようになった。

そしてこのバグァでは

便所で紙を使わなくてもすむようになった。

次第に物から解き放たれていく。

それが快かった。」



旅に出る前はあれもこれも必要なものがありすぎて

大幅に荷物を削るハメになった。

それでも旅が始まると

本当に必要なものがわかってくる。

それは日本人としての大事な何かを

なくしているのかも。。。と言う不安と隣り合わせであったけど。


「香港の街の匂いが私の皮膚に沁みつき、

街の空気に私の体熱が溶けていく。

街頭で華字新聞を買い、

小脇に抱えて歩いていると、

香港のオジサンやオバサンに呼び止められて、

道を訊かれるようになった。

黙っているかぎり、誰も私のことを異国人とは見なさなくなる。

異国にありながら、異国の人から特別の関心を示されない。

こちらは好奇の眼で眺めているが、

向こうからは少しも見られない。

それは、自分が一種の透明人間になっていくような快感があった。」



インドで私はそこらへんのインド人よりも

よっぽど皮膚の色が黒かった。

荷物をまさぐられてからは

「荷物を持ってるからスリに狙われるんだ」と気づき、

ポケットに少しの現金とデジカメ、地図を折りたたんで手ぶらで歩いた。

悪名高いデリーでは気を張って歩いていたけど

特に何も起こらなかった。

私はそれが拍子抜けしてしまい、

一人でおもしろがってしまった。

about

SAYA

Author:SAYA
2011年、初夏
構想3年、世界一周へ旅立ちます


映画が好き
本が好き
夕焼けが好き
路地裏が好き
そして何より旅が好きな
スナフキンに憧れている女子のブログ。

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