日々旅中

 ya6.gif  世界一周へ向けてホームページを作成しました。
 2011年7月出発予定
 西へ進みながら更新をしていく予定です。


 まだまだ完成とは言えないHPです。
 だって完成するのは旅が終わってからなんだもの!!
 出発まではこのブログをご覧ください!



スポンサーサイト

Category : スポンサー広告
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

旅の最中

Category : midnight express
「日本にいるときの私は、

浪費家というのではなかったが、

決して吝嗇家ではなかった。

ポケットにあるだけの金はいつも気持よく使い切っていた。

ところが、この旅に出てからというもの、

倹約が第二の習性になってしまったかのように、

あらゆることにつましくなってしまった。

しかも、その傾向は日が経つにつれてますますひどくなっていく。

金がなくなり、これ以上旅を続けられないということになったら、

そこで切り上げればいい。

そう思ってはいるのだが、旅を終えなければならなくなることへの恐怖が、

金を使うことに関して私を必要以上に臆病にさせていた。」



お金の価値をその国に合わせられるようになってしまうと

(それも旅の技術の一つではあるけれど)

日本に帰ってきたときのショックはかなりでかい。。。

それから旅に必要なものは

やっぱりお金なのだ。

働きもせず、ただ進むだけの旅は

確実にお金だけが失われてく。

お金がなくなったら帰らなくちゃいけない。

満足してなくても生きてくためにはそうするしかない。

それはきっととても怖いことなんじゃないかなぁ・・・


「あるいは、彼らも人生における執行猶予の時間が欲しくて

旅に出たのかもしれない。

だが、旅に出たからといって

何かが見つかると決まったものでもない。

まして、帰ってからのことなど予測できるはずもない。

わからない、それ以外に答えられるはずがなかったのだ。

そして、その状況は私にしても大して変わらないものだった。

わからない。

すべてがわからない。

しかし人には、わからないからこそ出ていくという場合もあるはずなのだ。

少なくとも、私が日本を出てきたことのなかには、

何かが決まり、決められてしまうことへの恐怖ばかりでなく、

不分明な自分の未来に躙り寄っていこうという勇気も、

ほんの僅かながらあったのではないかという気がするのだ……。」



これは私の永遠の課題な気がする。

私には将来の夢だとかそんなものはもうなくて

ほんとに世界放浪のためだけに

働いているようなもの。

それはきっと実現するだろうけど

そのあとのことなんて一切考えてない。

もちろん、不安はある。

だけどそれ以上にこのままでは満足できない気持ちのほうが

圧倒的に強い。

世界を歩くことの楽しさを知ってしまったら

毎日の生活に満足でなんかいられない。



「僕が西へ向かう途中に出会った若者たちにとって、

シルクロードはただ西から東へ、

あるいは東から西へ行くための単なる道にすぎませんでした。

時には、彼らが、いつ崩れるか分からない危うさの中に身を置きながら、

求道のための巡礼を続けている

修行僧のように見えることもありました。

彼らは、もしかしたら僕をも含めた彼らは、

頽廃の中にストイシズムを秘めた、

シルクロードの不思議な往来者だったのかも知れません。

しかし、彼らこそ、シルクロードを文字通りの「道」として、

最も生き生きと歩んでいる者ではないかと思うのです。
 
滅びるものは滅びるにまかせておけばいい。

現代にシルクロードを甦らせ、息づかせるのは、

学者や作家などの成熟した大人ではなく、

ただ道を道として歩く、

歴史にも風土にも知識のない彼らなのかもしれません。

彼らがその道の途中で見たいものがあるとすれば、

仏塔でもモスクでもなく、

恐らくそれは自分自身であるはずです。
 
それが見えないままに、

道の往来の途中でついに崩れ落ちる者も出てきます。

クスリの使いすぎで血を吐いて死んでいったカトマンズの若者と、

そうした彼らとのあいだに差異などありはしないのです。

死ななくて済んだとすれば、

それはたまたま死と縁が薄かったというにすぎません。
 
しかし、とまた一方で思います。

やはり差異はあるのだ、と。

結局、徹底的に自己に淫することができなかったからだ、と。

少なくとも僕が西へ向かう旅のあいだ中、

異様なくらい人を求めたのは、

それに執着することで、破綻しそうな自分に歯止めをかけ、

バランスをとろうとしていたからなのでしょう。

そしていま、ついにその一歩を踏みはずすことのなかった僕は、

地中海の上でこうして手紙を書いているのです。」



私はシルクロード横断って言葉を

きっと過大評価しているのかもしれない。

そうゆうフシはよくあって

インドに行く前も

私はインドのハードルをかなり高く設定していたように思う。

きっとどこの国も

その国の人々が普通に生活しているんだから

ただ異国というだけで

何ら変わりないんじゃないかって思う。

それでもただ漠然と

「シルクロード」を歩いてみたい。

この文章を読んでそう思った。


「私たちのような金を持たない旅人にとって、

親切がわずらわしくなるというのは、

かなり危険な兆候だった。

なぜなら、私たちは行く先々で

人の親切を「食って」生きているといってもよいくらいだったからだ。

「食う」という意味は二重である。

ひとつは、文字通り人から親切によって与えられる食物や情報が、

旅をしていくために、だから異国で生きていくために必須だということ。

もうひとつは、人々の親切が旅の目的そのものになっているということ。

つまり私たちのようなその日ぐらしの旅人には、

いつの間にか名所旧跡などどうでもよくなっている。

体力や気力や金力がそこまで廻らなくなっていることもあるが、

重要なことは一食にありつくこと、

一晩過ごせるところを見つけること、でしかなくなってしまうのだ。

しかし、そうではあっても、いやそうだからこそ、

人が大事だと思うようになる。

旅にとって大事なのは、名所でも旧跡でもなく、

その土地で出会う人なのだ、と。

そして、まさにその人と人との関わりの最も甘美な表出の仕方が

親切という行為のはずなのだ。

ヒッピーとは、人から親切を貰って生きていく物乞いなのかもしれない。

少なくとも、人の親切そのものが旅の全目的にまでなってしまう。

それが、人から示される親切を面倒に感じてしまうとすれば、

かなりの重症といえるのかもしれなかった。」



旅の醍醐味はやっぱり人との出会いだと私も思う。

旅中は少々子供に還る自分を感じて

少しの親切もとてもうれしい。

そしていささか自分も親切になっている気がする。

私はその親切を面倒だと思ったことはなかったけれど

長い旅を続けると

いくら異国の世界の出来事でも

それが日常になるんだろうから

不感症になってしまうのもわかるかもしれない。と思う。


「ヒッピーたちが放っている饐えた臭いとは、

長く旅をしていることからくる無責任さから生じます。

彼はただ通過するだけの人です。

今日この国にいても明日にはもう隣の国に入ってしまうのです。

どの国にも、人々にも、まったく責任を負わないで

日を送ることができてしまいます。

しかし、もちろんそれは旅の恥は掻き捨てといった類いの無責任さとは違います。

その無責任さの裏側には

深い虚無の穴が空いているのです。

深い虚無、それは場合によっては自分自身の命をすら

無関心にさせてしまうほどの虚無です。」



私はヒッピーのような旅人に憧れはあるけれど

きっとそんな風に旅はできないと思う。



「歩いても歩いても何も起きない。

かつては出来事が向こうからやってきたものだが、

私はは何も起きないこの街で

透明な存在になったように

ただ歩いている。」



アジアからヨーロッパに入ると

「さみしい」なんて思うことがあると聞いたことがある。

途上国は旅行者に群がるけれど

先進国ではそれがない。

ヨーロッパに興味がありながら

なかなか足が向かない理由は

こーゆうことなのかもしれない。


「私にはひとつの怖れがあった。

旅を続けていくにしたがって、

それはしだいに大きくなっていった。

その怖れとは、言葉にすれば、

自分はいま旅という長いトンネルに入ってしまっているのではないか、

そしてそのトンネルをいつまでも抜け切ることができないのではないか、

というものだった。

数カ月のつもりの旅の予定が、

半年になり、一年にもなろうとしていた。

あるいは二年になるのか、三年になるか、

この先どれほどかかるか自分自身でもわからなくなっていた。

やがて終ったとしても、旅というトンネルの向こうにあるものと、

果してうまく折り合うことができるかどうか、

自信がなかった。

旅の日々の、ペルシャの秋の空のように透明で空虚な生活に比べれば、

その向こうにあるものがはるかに真っ当なものであることはよくわかっていた。

だが、私は、もう、それらのものと折り合うことが

不可能になっているのではないだろうか。」



旅している人たちは

共通してこんな気持ちを抱えているんじゃないかなぁ・・・


「長い道程の果てに、

オアシスのように現れてくる砂漠の中の町で、

ふと出会う僕と同じような旅を続けている若者たちは、

例外なく体中に濃い疲労を滲ませていました。

長く異郷の地にあることによって、

知らないうちに体の奥深いところに

疲労が蓄積されてしまうのです。

疲労は好奇心を摩耗させ、

外界にたいして無関心にさせてしまいます。

旅の目的すら失い、ただ町から町へ移動することだけが

唯一の目的となってしまいます。

どんなに快活で陽気なバイタリティーに溢れているように見えても、

このまま安宿のベッドに横になったら、

ふたたび立つことはできないのではないかという危うさを、

どこかに抱え込んでいるようでした。

多くは、二十歳を超えていましたが、

ポール・ニザンのいう

「一歩踏みはずせば、いっさいが若者をだめにしてしまう」状態に陥っていたのです。

 西への途上で出会う誰もが危うさを秘めていました。

とりわけそれがひとり旅である場合は

その危うさが際立っていました。

一年を越える旅を続けていればなおのことでした。

しかし、と一方では思うのです。

このような危うさをはらむことのない旅とはいったい何なのか、と。

次から次へと生み出される現代日本のシルクロード旅行記なるものも、

その大半が甘美で安らかなシルクロード讃歌であるように思われます。

肉体上の苦痛、物理的な困難については語られても、

ついに「一歩踏みはずせば」すべてが崩れてしまうという、

存在そのものの危機をはらんだ経験について

語られることは決してないのです。」



リスクがあるから旅は楽しい!!

死なない程度に危険な目にあったほうが

少し成長できる気がする。

スポンサーサイト

Comment

非公開コメント

about

SAYA

Author:SAYA
2011年、初夏
構想3年、世界一周へ旅立ちます


映画が好き
本が好き
夕焼けが好き
路地裏が好き
そして何より旅が好きな
スナフキンに憧れている女子のブログ。

serch
counter
ranking

アルファポリス エッセイ・ブログ大賞に
エントリーしました!
応援よろしくお願いします!!

ランキング参加してます★
ポチッとお願いしまーす!

FC2Blog Ranking


にほんブログ村 旅行ブログへ

にほんブログ村 旅行ブログ 女一人旅へ

にほんブログ村 映画ブログへ

にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ

ブログランキング・にほんブログ村へ
new
comment
category
100旅
126人でつくった旅の本
好評につきシリーズ化しております!
100人100旅―126人でつくった旅の本100人100旅―126人でつくった旅の本
(2009/12)
100人100旅プロジェクト

商品詳細を見る

自分の旅の話は自分でしか語れない。
旅好きな126人のそれぞれの旅の話☆
twitter
つぶやいていただいてます!
ありがとうございます★
links
diary
trakback
mail
ご意見、ご感想
なんでもお気軽にメールください!

名前:
メール:
件名:
本文:

rss
QR code
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。